広島高等裁判所松江支部 昭和31年(う)44号 判決 1956年5月14日
控訴人 被告人 上里三次郎
弁護人 森安敏暢
検察官 西向井忠実
主文
本件控訴を棄却する。
理由
弁護人森安敏暢の控訴の趣意は記録編綴の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
弁護人の控訴の趣意の要旨は、本件は、当初検察官において不起訴処分に付せられたものであつたが、本件事故のため、店舗その他の物件を破壊されて被害を被つた米原武助から、今市検察審査会に対し審査の申立をなし、同審査会は右申立に基き、審議の結果、昭和二九年一二月一五日検察官の不起訴処分は相当でなく、起訴を相当と認める趣旨の議決を為し、該議決に基因して起訴されたものである。ところで道路交通取締法において保護される法益は「道路交通の安全」と解すべきものにして、同法違反の行為により被害を受けた個人を目して、同法違反の行為により法益を侵害されたものと為すことはできない。従つて前記検察審査会に対する審査申立人米原武助は、同法違反の行為によつて、「犯罪によつて害を被つた者」ではなく、検察審査会法第二条第二項の審査申立権者に該当しないものであるから、前記審査申立は、違法にして、申立権のない者の申立に基き審査を開始し、ついで議決した、その議決は当然無効である。しかして検察審査会における検察官の公訴を提起しない処分の当否に関する議決は、あたかも親告罪における告訴と同一性質のもので、右議決に基因する公訴の提起についての訴訟条件と解すべきであるから、本件起訴は、適法な議決を経ずして為されたもので、その訴訟条件を欠ぎ、結局公訴提起の手続が、その規定に反し、無効であるから、刑事訴訟法第三三八条第四号に則り公訴棄却の判決をなすべきであるのに、原判決が有罪の宣告をしたのは、法令の適用を誤つたものである、というのである。
しかし、検察審査会法第二条第二項又は同法第三〇条所定の「犯罪によつて害を被つた者」とは、犯罪行為によつて自己の生命、身体、自由、財産等に被害を受けた者を指称するものにして、ある種の取締法規によつて保護せられる法益が、一般的には公益に関するものと目せられる場合でも、その個々の法規に違反した行為によつて、直接自己の身体、財産等に被害を受けた者も、ここにいわゆる「犯罪によつて害を被つた者」と解すべきものにして、道路交通取締法の被害法益は、一般的には道路交通の安全という公益ではあるが、同法に違反して無謀な運転をし、他人の器物を損壊する行為があつたときは、該行為によつて損壊された物の所有者は現に道路通行中のものでなくても同法違反の「犯罪によつて害を被つた者」に該当するものと解するを相当とする。すると、本件被告人の行為によつて、店舗その他の器物を破壊された前記米原武助は、被告人の犯罪行為によつて害を被つた者に該当しその事件についての検察官の不起訴処分に対し、適法に検察審査の申立を為し得るものであるから、その適格を欠ぐことを前提とする論旨は理由がない。のみならず又刑事訴訟法の立前は、公訴権の行使を検察官に専属させその行使についてはいわゆる起訴便宜主義を採用するものであるから一定の事項を、公訴権の行使についての訴訟条件とするには、特に規定の存する場合に限るものなるところ、検察審査会における審査の結果、検察官の不起訴処分を不相当とし、起訴を相当とする議決があつた場合、その議決の効果について、検察審査会法第四一条によれば、「検事正は、……その議決を参考にし、公訴を提起すべきものと思料するときは、起訴の手続をしなければならない」と規定している。これによれば即ち右議決は、当然に検察官を拘束するものではなく、検察官は、右議決を参考にし、更に取調を為し、又はこれを為さずして自らの裁量により、不起訴処分を維持し、又は公訴提起を相当とするときは、起訴手続をするものにして、右起訴手続をするについて、審査会の議決を訴訟条件と解すべき法的根拠は一つも存在しない。故に、仮に論旨主張の如く、前記審査会の議決が、審査申立権のないものの申立に基き為された違法のものであるとしても、本件起訴の効力に何等消長を来すものではない。論旨は理由がない。
よつて刑事訴訟法第三九六条に則り本件控訴を棄却するものとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡田建治 裁判官 組原政男 裁判官 竹島義郎)
弁護人森安敏暢の控訴趣意
原判決は法令の適用に誤があつて、その誤が明らかに判決に影響を及ぼすものといわねばならぬ。
1、原判決は、本件道路交通取締法違反被告事件について被告人を罰金参千円に処し、そしてその理由において「被告人は……自動車運転者であるが、睡気を催し正常な運転が出来ない虞があるのにもかかわらず、昭和二十九年二月十一日午前二時頃……乗用車を運転し以つて無謀な操縦をなしたものである」と判示されている。
2、ところが一件記録において明瞭のように、本件は当初本件担任の検察官副検事吉松喬は、本件犯罪の成否にかかるいわゆる「居眠り運転」の点について確証なく、従つて公訴を維持し有罪判決を得る確信がないとして、本件を不起訴処分に附したところであるのに対し、本件事故のためその店舗及びその他の物件を破壊され被害を被つた米原武助(民事訴訟の原告として被告人及びその使用者である中島工業株式会社を相手取つて損害賠償の訴を松江地方裁判所今市支部に提起し、昭和二九年(ワ)第三二号事件として現に係争中である事実も、記録上明白である)より今市検察審査会に対し審査の申立があり、同審査会は昭和二十九年十二月十五日右吉松副検事のなした不起訴処分の裁定は相当でなく、起訴するのが相当であると認めるとの議決をなし、本件はその議決に基因して起訴されたところである。
3、しかしながら本件道路交通取締法における法益は「道路交通の安全」と解するを相当とすべく、そしてそれを正解とするならば、本件における今市検察審査会に対する審査申立人米原武助は「犯罪により害を被つた者」でなく従つて本件につき審査会法第二条第二項の審査申立権者に該当しない。尤も検察審査会はその過半数により議決があるときは、自ら知り得た資料に基きいわゆる職権発動によつて審査を行い得ることは、同条第三項の明文上疑いないところであるが、本件にはその職権発動の結果審査したものと認むるに足るものなく、反つて議決書に「島根県出雲市今市町七六四番地陶器商申立人米原武助」と記載された事実に徴するも、本件は米原武助の申立によつて審査されたことを確認されるところである。果して然らば今市検察審査会は審査申立権のない者の申立を採つて以て当該不起訴処分の当否に関し、審査会を開らき議決したものであつて、その議決は当然に無効であるといわねばならぬ。従つてこの今市検察審査会の無効の議決に基いて起訴されるに至つた本件公訴の手続も亦無効であると断ぜざるを得ない。蓋し本件の場合起訴を独占する検察官において主観的にその犯罪の確証なく、従つて公訴を維持し有罪判決を得る確信なしとして不起訴処分に附した事案につき、他に何等あらたに重要な証拠を発見したのでもないのにかかわらず公訴の手続を採つたのは一に検察審査会の起訴するのを相当と認めるとの議決に基いたものであるからである。
4、元来検察審査会における検察官の公訴を提起しない処分の当否に関する議決の趣旨は、親告罪における告訴の如くこれを一の訴訟条件といわねばならぬ。すなわちその議決の趣旨において公訴を提起しない処分を相当とした場合は、親告罪の告訴権者が告訴をしない旨の意思表示に該るものというべく、これに反してその処分は不相当で起訴するを相当であるとした場合は告訴の意思を明示したものというべきであり、ここに初めて他動的に起訴手続を採らなければならないからである。蓋しこの場合は検察官が公訴取消後再起訴する場合、又は起訴便宜主義に則つていわゆる不起訴にしたものを、更めて起訴するような場合の自発的にその職権を行うものとは自ら異なるからである。このことは検察審査会法制定の精神と、その法理に照らして理解されるところである。
5、然れば原審は本件につき刑訴法第三三八条第四号に則り、公訴棄却の判決をなすべきに、ここに出でないで有罪を宣告したことは結局法令の適用を誤つたものといわねばならぬ。